27章1節を読むと、「エホヤキム王の治世の初め」となっていますが、シリア語訳聖書では「ゼデキヤの治世の初め」と記されています。内容的には、3節に記されているように、ゼデキヤ王の治世の時であることが分ります。主は、預言者エレミヤに対して、「なわとかせとを作り、それをあなたの首につけよ」と命じられました。それから、それぞれの国からエルサレムのユダの王ゼデキヤのところに来る使者に対して、預言のことばを伝えるように命じられました。預言を送るべき相手は、エドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンのいずれも南ユダの近隣諸国の王たちでした。その内容は、主の計画であるから、バビロンの王に仕えるように、そうすれば生きることが出来る、しかし、バビロンの王に仕えることはないという偽預言者たちのことばに信頼するなら、それらの国はみな、ことごとく滅ぼされる、という預言でした(4節―11節)。そして、南ユダの王であるゼデキヤに対しても、バビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ」という主の預言を伝えました。そして、偽預言者たちのいうことを聞くな、と命じられました(12節―15節)。

そして、エレミヤは、祭司たちやすべての民に語りました。偽りの預言に期待してはならない、悔い改めて、主の前にへりくだり、主のみこころを受け入れてバビロンの王に仕えるなら、そこにこそ生き残る唯一の道があるのだと指摘しました。もしも、主に逆らい、バビロンに抵抗するなら、バビロン軍は、神殿も町もみな廃墟とするであろう。そのようなことをさせてはならない。へりくだって、バビロン軍に投降せよ。やがて、主の定めの時が来るなら、バビロンに運ばれた器も返される時がくる。しかし、近い将来ではない。というメッセージです。

 

私たちも、否定的な意見を聞くよりも、肯定的な意見を聞くことの方が、快いものです。しかし、時には、厳しく悔い改めを求める意見にも心を開き、受け入れる心構えが必要です。

 

主は私たちの造り主、救い主、永遠の主です!