7章の2節までは6章7節からの続きです。さて、7章3節―7節の内容ですが、その歴史的な背景について紹介します。北イスラエルではヤロブアム王が死んでのち10年の間に5人の王がたち、そのうち、3人は暴力で王位を奪ったものでした。ヤロブアムの子のゼカリヤは半年間おさめただけでシャルムに殺されました(紀元前753年)。シャルムは1カ月の後にメナヘムに殺されました。このメナヘムはアッシリアのティグラテ・ピレセル3世に貢物を納め始めました。メナヘムが10年の治世を終えて、その子のペカフヤが王につくと、ペカが立ち上がってペカフヤを殺害し、サマリヤで王位につきました。このペカはそれまでの親アッシリア政策を捨てて、反アッシリア政策をとりました。そのため、アッシリヤのティグラテ・ピレセル3世から報復を受けイスラエルの全土は荒され、滅亡寸前に追い込まれました。そのとき、エラの子のホセアがペカを殺し、アッシリアに降伏し、貢物を納めました。そうでなければ、イスラエルは滅んでいたことでしょう。というわけで、イスラエルは、ホセアが王となったことで、一息ついたのでした。このように、北イスラエルの王位の正統性というのは完全に奪われてしまいました。「悪を行って王を喜ばせ」(3節)とは、人々がペカを殺して、ホセアを王とした人々の無法ぶりを示唆しています。念のため、注意しておきますが、ホセア書を書いた預言者ホセアとホセア王とは、別の人物です。
次に、8節―16節ですが、「エフライムは国々の中に入り混じり」(8節)とあります。ペカを殺し、アッシリアに貢物をおさめることで北イスラエルの滅亡を食い止めたホセア王でしたが、アッシリアのティグラテ・ピレセル3世が死んで、その子のシャルマヌエセルが王位をつぐと、ホセアはアッシリアに背く計画を立てて、エジプトに近づきました。めまぐるしい外交政策の変化で周囲の国々を巻き込んで混乱の渦の中に入っていきます。「生焼けのパン」(8節)とは、平たく伸ばした練り子をかまどの内側に張り付けて焼き、それをひっくり返して焼くという操作を省略して、生焼けになったもので、食べられない、つまり、役に立たないということを意味します。北イスラエルの外交政策は、コロコロ変わり、アッシリアとエジプトの間で、そのときそのときの状況で、シーソーゲームをするようなものでした。北イスラエル(エフライム)は、「愚かで思慮のない鳩」のようになってしまいました(11節)。そこで、主は網を張り、鳥を捕えるようにイスラエルを捕えます。主を捨ててむなしいものに頼る北イスラエルを罰して、主に立ち返らせるためでした。しかし、北イスラエルは、バアルに立ち返り、たるんだ弓のように役に立たないものとなりました。ついには、イスラエルの滅亡は避けられないものとなっていくのです。
さて、本物の勝利は、主なる神の約束のみことばを信じて生きることにあります。これが私たちの生き方です。わたしの造り主は、私たちを贖って下さいました。神のかたちを回復して下さいました。神のこどもとして、胸を張って生きるのです。どん底にあっても、主は共におられて、私たちを立たせてくださいます。主のみことばを信じることが私たちの生き方です。
清宣教師
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