ネヘミヤ記の7章1節で、エルサレムの城壁が完成したことが記されていました。その後、祭りや悔い改めの聖会があり、民たちはエルサレムにとどまりましたが、祭りや聖会が終わると、人々はそれぞれの居住地に帰って行きました。そのため、エルサレムの城壁は完成していましたが、実際に家を構えて生活する人たちが少ないという状況がありました。そこで、11章では、エルサレムの外に居住していた民たちが、くじをひいて住民の10人に1人が、エルサレムの町に住むようにしました。また、自発的にエルサレムの町に住む人たちが与えられました。その人たちとは、ユダ族、ベニヤミン族、祭司、レビ人、門衛、宮に仕えるしもべたちでした。こうして、民たちはエルサレムを中心に住まいを定めました。
12章では、捕囚から帰還した人たちのリストが載っています(1節~26節)、次に、城壁の奉献式の様子が載っています(27節~43節)。12章31節から、ネヘミヤが「私」として再び登場します。門と城壁がきよめられ、ついに、奉献式が挙行されます。二組の聖歌隊が城壁を右回りと左回りに別れて、楽器と歌によって行進しました。そして、ふたつのグループは神殿の前で合流しました。そこで、聖歌隊、民の指導者たち、祭司、そして民全員が定められた位置について(12章40節~42節)多くのいけにえを捧げ、多くの歌を主に捧げました。女もこどもたちもみな喜び歌いました。そして、奉献式は大きな喜びに包まれて終わりました。そして、日常の生活に戻りました。それから、10数年の歳月が経過しました。その10数年間はネヘミヤはペルシャに戻っていたようです。そして、ネヘミヤが総督として、再び、エルサレムに帰ってきました。そのとき、ネヘミヤが目にしたことは、すでに、モーセの律法に反して混血の民がいたことです。また、大祭司エルヤシブが敵のトビヤと親しくし、神の宮の中に、トビヤのために部屋をあてがっていたことです。ネヘミヤは大いに機嫌を悪くし、トビヤ家の器具類を全部、外へ放り出しました。そして、その部屋を清め、本来の目的にそって神の宮の器物などを治めさせました。また、レビ人への生活費の支給がなされていないため、レビ人や歌う隊たちが神の宮での仕事をやめて、それぞれ自分の農地で畑仕事をしなければならないという実情を見ました。そこで、ネヘミヤは、代表者たちを詰問して、レビ人たちへの支給を元通りにし、神の宮での奉仕ができるようにさせました。また、安息日に売り買いがなされていたので、このことも、ネヘミヤはやめさせました。さらに、異邦の民との雑婚がなされていることを見ました。大祭司エルヤシブの孫が、ホロン人サヌバラテの娘をめとっていたことから分るように、事態は深刻な状態でした。しかし、ネヘミヤは断固として、エルヤシブの孫を共同体から追放しました。ネヘミヤやエズラによる宗教改革でしたが、10数年の間に、大祭司や民たちの中に異邦人や異教との妥協が進んでいたのです。彼らはその深刻さに気付きませんでした。しかし、ネヘミヤはその堕落の本質を知っていました。ソロモンの王さえ、その異邦人の配偶者の影響によって異教の習慣を取り入れて、イスラエルの民全体を破滅の中に追いやる原因を作ってしまったのですから。ネヘミヤの改革は、進行中であり、困難を伴うものでした。ネヘミヤは、13章の中で、三度、この改革が失敗に終わらないように、どうか、私を覚えて、いつくしんでくださいと祈っています(14節、22節、31節)。何事も、ひとつのことが完成するまでには忍耐と決断と勇気が必要です。