からし種 木陰に宿る 日も近し

きょうは、2016年度第1回、創造論公開講座でした。創造論の土台である、創世記1章の理解を深める時として準備しました。
これまでは、創造論を宣教する立場として、聖書に示されているように、万物は、創造主が無限の叡智をもって造られた作品であることを解き明かしてきました。しかし、今回は、一歩、階段を上がることにしました。それは、これまでのように、創造論のタネをまくのではなく、創造論宣教のタネをまくことでした。つまり、創造論の宣教をする人となるタネをまくことでした。自分自身の経験から、創造論を伝えようとするなら、そこには、必ず、直面する課題がいくつかあります。たとえば、創世記1章の解釈にあたって、間隙説(断絶説)、1日1時代節、神学的枠組み説など、新解釈があり、著名な神学者や牧師先生が、そのような立場をとっているという現実に直面させられます。私たちは、創世記1章を、1日24時間での6日間の創造として理解しています。また、創造の工程表として理解しています。今回、私は参加者の方々が、私と同じように、創造論宣教の働きを担う仲間として、共通の理解のもとに、一致して、前進できるようにタネをまきました。からし種のように、小さいものですが、大きく成長して、日本の国民がその陰に宿る日を夢見て、前進します。
主に感謝します。