1節の「測りさお」とは、植物の葦を切って、「ものさし」としたものです。正しい基準(カノン)を意味しています。
「神の聖所」とは、地上のエルサレムの神殿です。ところで、ヨハネが黙示録を書いた当時のエルサレムの神殿は、どのような状態だったでしょうか?すでに、紀元後70年、エルサレムの神殿の建物はローマ軍によって完全に破壊されていました。ですから、実際にはエルサレムには神殿の建物はありませんでした。2017年3月現在、今も、神殿はありません。いま、そこには岩のドーム(黄金のドーム)というイスラムの寺院が建っています。ですから、この神殿は、これから建てられる神殿のことのようです。およそ2千年にわたってエルサレムに主の神殿は存在しませんでした。しかし、驚くべきことに、1948年、イスラエル共和国が誕生しました。そして、イスラエルのユダヤ教のグループの中では、神殿再建の話が持ち上がっているとのことです。いま、終末時代の時計は動き始めているのです。主の神殿が、エルサレムに再建される時、確実に、再臨と大患難時代は近づいているという証拠となります。
2節で、「聖所の外の庭は異邦人にあたえられているゆえ、そのままに差し置きなさい」と言われています。異邦人に踏み荒らされている期間は42か月です。42月×30日で、日数としては、1260日となります(3節)。年数で言えば、3年半(3年と6か月)になります。
3節と4節のふたりの証人とは誰でしょうか?いくつかの説があります。「二本のオリーブの木、また二つの燭台である」という表現ですが、旧約聖書のゼカリヤ書4章11節~14節に預言されていることと思われます。
この二人とは、6節の描写から、エリヤとモーセと考える解釈があります。あるいは、エリヤのような人、モーセのような人と解釈する人がいます。あるいは、死なないで天に上げられたエノクとエリヤのふたりであり、7節で、二人は死ぬと書いてあるので、この地上で死んで、天に上げられると考える解釈もあります。特定することは難しいです。それはそれとして、この二人はエルサレムにおいて、ものすごい力ある働きをしますが、底知れぬところから上ってくる獣が二人を殺します(7節)。
この獣は、サタンそのものと解釈する人と、反キリスト(サタンが背後であやつる人物)と解釈するひとがいます。いずれにせよ、二人の神の証人は、この獣によってエルサレムの大きな都の中で殺されて、その死体は公衆の面前にさらし者にされます。全世界の人々が、その死体を眺めます。百年前には、これは荒唐無稽の話でしたが、2017年の今では、現実のことです。つまり、エルサレムの出来事は、全世界の人々がエルサレムからのTVによる衛星中継に心を奪われて、3日半、テレビを見続けるのです(9節)。
そして、これまでの天災は、二人の仕業であるとして、もはや天災はなくなると思って、全世界の人々が安心してお祝いするのです(10節)。
しかし、3日半のあと、この二人の神の証人が、息を吹き返して立ち上がるのです。テレビの実況中継を見ている人に、大きな恐怖が走ります(11節)。
そのとき、大きな声が天からあり、「ここに上れ」という音声が聞こえてきます。そして、二人は、雲に包まれて、天に上って行くのです。すべては実況中継で全世界に伝えられます(12節)。
そして、大地震が起こり、エルサレムの都の10分の1が倒れ、7千人が死亡します。生き残った者たちはあまりにも恐ろしいことが起こったので、悔い改めに導かれて、天の神をあがめるようになります(13節)。
そして、第7の御使いがラッパを吹き鳴らしました。すると、天に大きな声がしました(15節)。
24人の長老たちがひれ伏して神を礼拝します。そして、勝利を宣言します(16節~17節)。
まだ、地上では、神の審判と災いが連続して起こりますが、天ではすでに、勝利が確定したのです。そして、天の神殿が開かれました(19節)。
ここまで、7つの封印が解かれ、7つのラッパが鳴らされましたが、12章以降、こんどは、7つの鉢が登場します。そして、主の裁きがクライマックスに向かって確実に進んで行きます。
清牧師