今日のイザヤ書25章は、「救いの賛美」です。1節―5節は、勝利の神への賛美。6節―8節は、救いの祝宴。9節―12節は、さばきによる主の救いの賛美です。
前章では、神の都エルサレムの荒廃と終末における栄光の回復が預言されていました。この章では、こんどは、敵国の都の崩壊を預言しています。真の神を知らない国々が、みずからの富と知恵を用いて建てた堅固な都も、主の裁きの前にはまったく無力であり、結局、主の裁きにより瓦礫の山と化してしまいます。一方で、主なる神は、力強い横暴な者たちから不当な圧迫を受けていた弱っている者や貧しい者たちを助け出されます(1~5節)。エルサレムの王である万軍の主が、シオンの山で祝宴を催されます。それはユダの民だけではなく、万民のため、つまり、全世界の神の民のためであると述べています。「顔覆い」とは解釈が分れるところですが、「永久に死を滅ぼされる」と記してあるので、屍衣あるいは喪服のようなものが想定できます。人間の最終の敵である死を呑込んで、勝利を全世界にもたらす主のはたらきが記されています(6~8節)。再び、神の民の賛歌が歌われています。あの高慢なモアブが、神の民の敵国の代表として取り上げられ、そのモアブが、主によって踏みつけられる姿を描いています。
今日の聖書箇所から教えられることは、主の裁きは、神の民を苦しめてきた敵対者にとっては滅亡の恐ろしい時となるのですが、神の民にとっては救いの喜びの時となるのです。正義の主は必ず、最後に審判をくだされます。そして、正義を確立されます。
清宣教師