レミヤ書18章です。きょうの個所は、非常に分りやすい個所ですね。3つに分かれています。1-12節:陶器師の家で、主の言葉が与えられました。13-17節:イエスラエルに対する神の裁きの宣告です。18-23節:19節から23節がエレミヤの祈り(呪い)。1-12節では、エレミヤは主の命令で陶器師の家に行きました。陶器師が、ろくろに粘土を据えて手の中で器を作っていきます。そして、陶器師の気に入るような形にならないと、それを潰してまた、ろくろに据えて、気に入る形に作り直します。主はご自身を陶器師に、イスラエルを神の器に、それぞれ、例えて、メッセージを伝えました。13-17節では、レバノン山脈は、日本の富士山よりも高く、頂上の万年雪は消えることがない。その川の流れは決して涸れる(引き抜かれる)ことはない。しかし、イスラエルの民は、主を忘れ、空しい偶像を礼拝している。だから、必ず、裁きを受けることになる。18-23節では、まず、18節において南ユダの指導者たちのことばが記されています。かれらは、「われわれには、祭司がいる、知恵ある者がいる。預言者もいる。だから、偽預言者のエレミヤの声には耳を傾けず、エレミヤを打倒そう」と言っていた。それに対して、19節―23節で、エレミヤは、これらの指導者を呪うことばを発している。預言者の視点から言えば、彼らは民を惑わし、偽りを真実と言い、真実を偽りとする偽善者であり、悪者である。だから、彼らの上に厳しい神の裁きを要求している。
今日の聖書箇所から教えられることですが、主は、エレミヤを、わざわざ陶器師の家に連れ出して教えられました。このように、主は、実物教訓のあとで、主のみこころを説明されることがあります。例えば、アブラハムに対して、外に出て、星空を見上げさせました。そして、その満天の星空を見上げるアブラハムに対して、あの星の数を数えてみなさい、と言われたのです。それから、あなたの子孫はあの星の数のようになると約束されました。アブラハムは、星空をみるたびに、神様の約束を思い出したことでしょう。エレミヤも、陶器の器をみるたびに、陶器師である主を思い出したことでしょう。主は、私たちにも、実物教訓を経て、みこころを示されることがあります。主の導きを待ち望みましょう。
清宣教師