エゼキエルは、主の預言者として見張り人の責任を与えられています。国民に対して預言を伝えることが使命です。預言を聞いた国民が、その警告を受け入れて危機に備えるかどうかは、聴いた本人の責任です。しかし、もし、預言者が語らなければ、警告を与えなかった者(預言者)自身が責任を負うことになります。それでは詳しく見ていきます。1-20節:見張り人の責任です。2節、「ひとつの国」と語られており、一般的な国のこととして語られていますが、イスラエルの国を念頭に置いて語られています。敵を見張るのが見張り人の義務です。もし、敵を発見して角笛を鳴らして、味方の人たちに警告するなら、それで見張り人の責任は果たしたことになります。死傷者が出ても見張り人の責任にはなりません。しかし、敵を発見しても角笛を鳴らさなかったり、居眠りして敵の発見が遅れて、そのため、味方の人に死傷者が出たら、それは見張り人の責任になります。同じように、預言者が、主から「悪者よ。あなたは必ず死ぬ」とのみことばを与えられても、その警告を伝えなければ、その人の失われたいのちの責任も、預言者の責任となります。一方、預言者がその警告を伝えても、それを受け取った人が悔い改めなければ、その人はいのちを失いますが、その責任は預言者にはありません。主の願いは、悪者が死ぬことではなく、主のみことばを聞いて悔い改めて、いのちを得ることです。99%悪い行いをしてきた人でも、いま、悔い改めるなら恵みによっていのちを得ます。他方、99%正しい行いをしてきた人でも、いま、悪を行えば、そのひとつの悪のゆえに裁きを受けます。それで、「主の態度は公正ではない」と多くの人たちが抗議の声を挙げます。しかし、主はいわれます。そういう人たちを、わたしは裁くと。イエス様も例え話をされました。弟の放蕩息子は、悔い改めて神のもとに立ち返った時、救われました。また、十字架のイエス様の隣の強盗が、最後の最後に悔い改めて、パラダイスに入りました。だからと言って、「私も臨終の間際に悔い改める」というのは、間違った適用です。なぜなら、十字架のイエス様の隣にはもうひとりの強盗がいました。彼は、最後まで、悔い改めず、イエス様を罵り、悔い改めませんでした。臨終のときに悔い改めるという保証はないのです。聖書は、つねに、いま、いま、いまです。悔い改めの時は今です。21節-33節:エルサレム陥落のニュースです。エルサレムが陥落して、神殿も、宮殿も、人家もみな、バビロン軍によって焼き尽くされたという報告が、バビロンに捕囚となっていた人たちのもとへ届きました。23-29節、そのとき、エルサレムに残っていたのは、極貧の少数の民でした。しかし、彼らは、自分たちがエルサレムに残されたので高慢になり、私たちはエルサレムを所有する正当な権利があると主張し始めていたのです。アブラハムはただひとりなのに、この地を所有していたのに比べれば、わたしたちはひとりではない。この土地を所有する権利を与えられたのだ、と主張したのです。人間はどこまでも、高慢です。そこで、主が語られます。あなたがたは、自分たちをアブラハムになぞらえているが、偶像礼拝と不義の罪にまみれている。あなたがたは決して所有することは出来ない。剣と獣と疫病で滅ぼす。30節ー33節、一方、バビロンに捕囚の民となっていた者たちです。エゼキエルの預言が成就したことを知りました。多くの預言者が、エルサレムは決して滅びない、守られると予言していたのに、ただ、エゼキエルの預言だけが成就したのです。捕囚のひとたちは、家々の前で、噂します。あのエゼキエルこそ、本物の預言者だ。「さあ、どんなことばが主から出るか聞きに行こう」、前とは違って、いまや、群をなして、民たちはエゼキエルのもとに来ます。しかし、主は言われます。彼らは、恋の歌を聞くよううに、ウキウキして、エゼキエルのところにくるが、それは聞くだけで、実行しようとしない。エゼキエルのもとに行こうというのが、流行となりました。しかし、エゼキエルが語った警告に従わなければ、滅びるのです。以上です。
今日の個所から、わたしたち、みことばを与えられているものは見張り人の責任をあたえられています。福音を受け入れるかどうかは、私たちの責任ではありません。ただし、福音を語らなければ、私たちの責任になります。もうひとつ、やはり、決して、決して、決して、高慢になってはいけないということです。災いから救われたとき、恵みによって救われたのに、サタンは同時に、私たちの思いの中に、「私は特別だから守られた」という思いを入れてきます。決して、決して、決して、自分ではなく、主の恵みによるのです。主に栄光を帰しましょう。
清宣教師
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