今日の19章は、イスラエルの君主たちのための哀歌(葬式などで死別を悲しむ歌)です。ダビデ王朝末期の3人の王、つまり、エホヤキム王、エホヤキン王、そして、ゼデキヤ王で、遂に、バビロン軍により、エルサレムとユダ王国は滅亡し、ダビデ王朝が途絶えます。それを悲しむ哀歌です。さて、詳細ですが、2節~9節は、百獣の王、ライオン(獅子)に例えて、1枚の絵が描かれています。雌獅子、2頭の雄獅子、2頭の子獅子が登場します。2節、「あなたの母である雌獅子」とはユダ王国のことです。「雄獅子」とは、ユダを取り巻く列強、南はエジプト帝国、北はバビロニア帝国などの諸国です。「若い獅子」とは、列強の諸国の中でも、特に力のある国々です。「子獅子」とは、南ユダに生まれたエホヤキム王、エホヤキン王です。3節、「子獅子のうちの一頭」とはエホアハズ王のこと、若い獅子のように、力強く、諸国からも恐れられました。獲物を引き裂き、人をも食べたとは、周りの諸国から恐れられる存在となったことを指しています。4節、「その獅子」とはエホアハズ王のこと。まわりの諸国(なかでもエジプト王パロ)は、恐れて、落とし穴を設けて、カギでとらえて、エホアハズ王を、エジプトの地に連れて行きました(第2列王記、23章34節参照)。5節、雌獅子(南ユダ王国)は、こうして、自分の望みが絶たれたので、他の一頭(エホヤキン王)をとり、若い獅子(力ある者)としました。6節、エホヤキン王も、力をまし、諸国から恐れられるものとなりました。7節、「やもめたちを犯し」は、別の訳では、「その要害を荒らし」と訳しています。8節、諸国の民とは、アモン人、モアブ人など。バビロンに協力した近隣諸国。9節、その獅子(エホヤキン王)は、網により捕えられて、バビロンに連れていかれて、そこから二度と戻ることはありませんでした(第2列王記、24章15節参照)。10節―14節は、もう1枚の絵が描かれています。そこに登場するのは、ブドウの樹、周りの茂みとなる木々、その枝ぶり、東風などです。10節、あなたの母とは南ユダ王国。水のほとりに植えられたブドウの樹のようであった。11節、「その強い枝は王の杖となり」とは、ゼデキヤが王となったこと。茂みとは近隣諸国のこと、際立って高く、多くの小枝をつけていた。豊かに成長し、農耕にも牧畜にも恵まれ、どの王国よりも強く豊かになる可能性を秘めていた。12節、しかし、高慢になったので、主の裁きにより、引き抜かれて、地に投げ捨てられた。東風とは、砂漠から熱風で、すべての作物を枯らすものであった。バビロンの軍勢という東風により、ゼデキヤ王という強い枝もみな焼かれてしまった。13節、荒野と砂漠の潤いのない地とは、バビロンのこと。14節、ゼデキヤ王の高ぶりは、ネブカデネザル王の激しい憤りを惹き起こし、もう、王の杖となる強い枝がなくなった。つまり、ダビデ王朝が断たれてしまった。以上です。今日のエゼキエル書19章は、二つの絵を用いて、ダビデ王朝の終焉を描いている哀歌です。さて、今日の個所では、2節、「あなたの母である雌獅子」「子獅子」という表現があります。南ユダ王国が、エホアハズ王を生み出したことを描いています。つまり、ひとりひとりの国民が、王を生み出すのです。これを日本に当てはめるなら、日本の総理大臣は、私たちに無関係ではなく、私たち国民が生み出したものです。私たちに無関係ではなく、まさに、生み出した責任があります。ですから、私たちには、日本の国がどのような方向に進むのか、どのような代議士、首相を生み出すのか、責任があります。祈ることが、とても、大事です。安倍首相のために、また、日本の国が、原発ゼロを目指す国となるように、その他、主のみこころにかなった国となるように、祈りましょう。
清宣教師