さて、ミカ書ですが、ミカという名前は、ヘブル語では、「誰が主(ヤハウェ)のようであるのか」という意味です。ミカの出身地はペリシテと国境を接するモレシェテ・ガテという村でした。エルサレムの南西30~40kmのところにありました。彼が活躍した時代は、1章1節の記載から、紀元前750年から687年の間と思われます。1章では、「サマリヤとエルサレムについて見た幻である」(1章1節)と述べられていました。北イスラエルの首都がサマリヤ、南ユダの首都がエルサレムです。北も南も、偶像礼拝と腐敗の中で、主の裁きの宣告がなされるのです。北イスラエルの罪の中心はサマリヤにあり、アッシリヤを用いて、北イスラエルを滅亡させるという宣告です。この徹底した裁きは、南ユダにまで、そして、エルサレムにまで及ぶ(1章9節参照)とあり、南ユダにとって無関係のことではありませんでした。北イスラエルが滅亡してすぐ、南ユダ王国の滅亡が実現したわけではありませんが、南ユダ王国は真剣にこの事態を受け留めるべきでした。
10節のガテ(ぶどう絞り器の意味)には、漁夫の利をねらうペリシテ人がいました。ベテ・レアフラ(ちりの家の意味)では、ちりのなかを転びまわる。11節のシャフィル(美しいの意味)の地では着物をはぎ取られ、裸で虜となる。ツァアナン(出てくるの意味)の人は出て来ず、ベテ・エツェル(近さの町の意味)の要塞には敵が押し寄せ、死の恐怖に満ちている。12節のマロテ(苦さの意味)はその名の通り苦汁を飲む。エルサレム(平和の町の意味)にさえ、平和ではなく危険が迫っているのだから。13節のラキシュはエジプトの戦車や馬を買った町です。14節のモレシェテ・ガテ(所有の意味)は所有していたものを手放す。アグジブ(欺きの意味)の家々は当てにならない小川のように。イスラエルの王たちの期待を裏切って滅びる。15節のマレシャ(所有の意味)は所有するのではなく、侵略者アッシリヤに所有される。これらのイスラエルの栄光は、アドラム(隠れ家の意味)まで行くことになる。そこで、洞穴から洞穴へと逃げ回ることになる。
事実、主はアッシリヤを用いて紀元前722年、サマリヤを陥落させ、北イスラエル王国を滅ぼされました。南ユダ王国は、さらに生き延びましたが、ついにはバビロンのネブカデネザル王によって征服されます。北イスラエル王国が裁かれたことを教訓として、南ユダ王国が悔い改める機会であったはずですが、南ユダ王国は高ぶり、自分たちは裁かれないと考えていたのです。しかし実際には、南ユダ王国にも裁きの時が近づいていたのです。私たちも、主の再臨と審判の時が近いことを覚えて、備えることが求められています。
清宣教師