今日の3章では、(1)安息日の論争(1節~6節)、(2)人々の必要に応える(7節~12節)、(3)12弟子の任命(13節~19節)、(4)悪霊追い出しの真実(20節~30節)、(5)真実の家族(31節~35節)の5つのことが取り上げられています。
(1)まず、昨日に続いて、安息日の論争があります(1節~6節)。彼らはイエスを訴える口実を見つけるための材料として安息日を利用しました。自分たちの目的を達成するための手段としたのです。これが古い革袋のなせる所業です。新しいブドウ酒は新しい革袋にいれなければなりません。私たちの古い価値観、古い考え方、それは古い革袋です。これは私たちと無関係ではありません。みことばはミルクです。ペテロの手紙第1,2章2節に次のように記されています。「 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」。神様のみことば(聖書)は、ひとを生かすためにあります。ところが、私たちはパリサイ人や律法学者のように、人を裁くための手段とすることがあります。神のみことばを古い革袋にいれてはいけません。私たちは古い律法的な考え方、価値観を捨てて、柔軟性のある新しい皮袋になる必要があります。それはいのちを与える皮袋です。
(2)イエス様は、弟子たちと共に湖の方に退かれました。それは休みのためでした。しかし、大勢の人たちがイエス様を求めて、ガリラヤから、ユダヤから、エルサレムから、はるかツロやシドンの地方からも人々が集まり、大群衆となりました。それで、人々が押し寄せて来ないように、湖の湖畔に船を浮かべて、船の上から宣教されたものと思われます。「天の御国は近づいた」という、御国の福音を語られ、その現われとして、実際に病気に悩む人たちを癒されました。また、汚れた悪霊たちを追い出されました。休みをとられるために退かれたイエス様の宣教チームでしたが、人々の必要を大事にされて、人々の必要に応えられたのです。
(3)イエス様は、ご自分の身近に弟子たちを置いて訓練し、福音宣教のために遣わすために、12弟子を選び、任命されました。また、ご自分だけでなく、弟子たちも悪霊を追い出すことができるように、悪霊を追い出す権威を授けるためでした。12弟子の中には、「雷の子」というニックネームをつけられた弟子たちも含まれていました。怒りっぽい弟子だったようです。それから、イエスを裏切ることになったイスカリオテのユダも含まれていました。不思議です。
(4)イエスの所業を調査するために、エルサレムから派遣された律法学者たちは、彼らの専門家としての学識から早速、結論をくだしました。それは、「彼は、悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」という結論でした。イエス様は、早速、反論されました。ひとつは、分裂国家の例え、ふたつは、盗賊のたとえです。そして、悪霊を追い出しておられる聖霊のみわざを汚すなら、だれでも永遠に赦されず、とこしての罪に定められる、と警告されました。
(5)イエス様は、そこにいた周りのひとに、「神のみこころを行う人は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と言われました。それは、文字通り、わたしの母、わたしの兄弟たち、と呼ばれたのです。ウソ偽りなく、そのように語られたのです。イエス様のお考えは、私たちの理解をはるかに超えています。イエス様は、外から来た人々に対して、ご自分のまわりで、みことばに聴き入っている人たちを見まわして、「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです」と宣言されました。そして「神のみこころを行う人は誰でも、わたし兄弟、姉妹、また母なのです」と補足されました。私の皮袋は古くなり、こわばって固くなっています。無限の柔軟性をもつ皮袋と取り換えて下さい。私たちは神の家族なのです!
清宣教師