さて、2章4節までは、1章の後半からの続きの部分で、コリント訪問の件で、あらかじめ示したとおりには実行できなかった理由について弁明しています。それは、パウロの心変わりによるものではなく、コリントの教会への一貫した愛からでたものでした。5節―11節では、コリントの教会で、重大な罪を犯して、教会から戒規処分をうけた人に対する教会のあるべき姿を示しています。重大な罪を犯した結果、戒規処分を受けたのですが、彼らが罪を悔い改めた今は、むしろ、愛をもって受け入れるように勧めています。そうでないと、彼らはサタンの誘惑で、教会に対して敵対する者となり、サタンの餌食になってしまうかも知れないのです(11節)。もともと、戒規処分は、教会の秩序や純潔の維持のためですが、同時に、本人の悔い改めを通して、本人の霊的な回復をはかるという目的があります。その本来の目的を忘れないで、過剰な裁きをすることなく、赦し、慰め、教会のからだの一員として、あるべき自分の居場所に復帰できるようにフォローすることです(7節、8節)。さて、2章12節からは、いよいよ、本題に入ります。そして、6章10節まで、ひとつのテーマについて記しています。それは、「パウロの使徒としての務め」というテーマです。まず、2章12節―17節では、パウロは、涙ながらに書いた手紙(2章4節)のことを取り上げています。その内容は非常に厳しいもので、コリント教会の人たちを悲しまる内容の手紙でした(7章8節参照)。それに対するコリントの教会の人たちの反応を、一日も早く知りたいパウロでした。それで、2章12節に記したように、パウロはトロアスに向かいました。そこで、福音の門はひらかれたのですが、それにもかかわらず、パウロの心には平安がありませんでした(13節)。コリント教会の状況を報告するテトスと会えなかったからです。それで、トロアスからマケドニヤへ向かいました(13節)。そこで、パウロはテトスに会うことが出来ました。そして、コリント教会の反応について報告を受けました。それは、とても喜ばしい報告でした。その時の状況が7章5節―16節に記されています。つまり、こうなります。2章13節で、「兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。」7章5節では「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく・・・」となっています。つまり、この間の2章14節~7章4節までは、割り込みの文章、挿入部分ということが出来ます。パウロは、2章13節あたりまで、手紙を書いているうちに、心の中に熱い思いが湧いてきて、次から次へと、心の中に湧いてきた思いを記したものと思われます。そのような思いこそ、パウロが日ごろから、最も大事なこととして考えていた事柄であると推測されます。

さて、2章2章14節~16節ですが、当時のローマ帝国の凱旋パレードに例えて述べている個所です。ローマの将軍が、敵兵を5千人殺し、領土を拡張することに成功した場合、ひとつの特権を与えられました。それは、そのローマの将軍が黄金の戦車にのり、市内をパレードして、皇帝のもとに向かうのです。多くの戦利品を携えて、奴隷たちを見世物にしながら、行進するのです。そこにはローマの祭司たちが加わり、香をたき、最後に大円形劇場に入るのです。そこで、ローマ市民たちが、大歓声で将軍たちの行列を迎えます。そこで、市民たちを喜ばせるため、クライマックスは、敵の捕虜たちを野獣と戦わせて見物するのです。

このことから、パウロは、サタンの領土を奪い返し、サタンの捕虜たちを従えて、大勝利を収めて凱旋するイエス・キリストの姿を浮き彫りにします。パウロは、サタンの支配下にある奴隷でしたが、キリストによりいのちを与えられて、キリストの香りを放つ証し人となっているのです。キリストの香りを放つ奴隷として、よろこんで、キリストの勝利の行進において、見世物になりますというのです。キリストは、確かに、ペンテコステの日に、3千人を救いだし、その後も2千人を救い出しました。そうして救い出されたものは、キリストの分捕りもの、キリストの勝利の証しとなるのです。ある人にはそれがいのちの香りとなり、無関心、敵対心のある人には、死に至らせるかおりとなりました。私たちも、キリストによって救われた香りを放つ者です。

清宣教師