次に、ヨハネの手紙、第2は、とても短い文章です。1節~3節は挨拶です。差出人は長老となっていますが、使徒ペテロも自分のことを長老として紹介しておりますが、これは使徒ヨハネのことであると考えられます。受取人は、「夫人とその子供たち」となっておりますが、ある夫人とその子供たちへの手紙と理解することが出来ますが、もうひとつ、キリストの花嫁(夫人)としての教会とその信徒たち(子供たち)という理解も可能性としては排除できません。使徒ヨハネは、私だけでなく、真理を知る人たちもみな、あなたをほんとうに愛しています、と記しました。第1の手紙で愛を説いた使徒ヨハネですが、そのとおり、実行している人でした。真理とはそういうものであるとも述べています。ある人が、「愛は名詞ではなく動詞である」と言いましたが、その通りですね。愛は名詞だったら、意味がないです。愛は必ず、相手に働きかける行動となって表現されます。実際に人と人を結びつけるものです。コロサイ人への手紙3章14節には、「愛は結びの帯として完全なものです」と記されています。さて、この手紙では、「愛」と「真理」ということばが、1節~6節の間に、そそれぞれ、5回ずつ、記されています。愛と真理が結びつくとき、それは完璧となります。愛なる神は、真理でもあります。真実の愛こそ、私たち人類にとって必要な愛です。偽りの愛は無数にあります。しかし、真理と愛が結びついた愛こそ、真実の愛です。それはイエス・キリストご自身です。これまで述べたように、この手紙が強調していることは、第1に、真理と愛の内に生活するということです。そして、この手紙を受け取る人たちが、真理のうちを歩んでいることを知って、使徒ヨハネは非常に喜んでいることを伝えています。また、夫人に対して、改めて、「互いに愛し合う」という父なる神の命令を守るように、「愛のうちを歩むこと」を勧めています。なぜ、そのようなことを改めてお願いするかというと、人を惑わす者たちが、しかも大勢、教会の中から出て行ったからです。当時の教会は、外部からの激しい迫害の時が過ぎて、平和が取り戻されたかと思った時、今度は、教会内部から異端が生じる根本的な危険に直面していたのです。この異端の侵入に対して、使徒ヨハネは、真剣に異端から教会を守ろうとしていたのです。もともとは教会の中で福音を伝えられていた者たちですが、サタンの惑わしのなかで、自分たちこそ真理を知っているといって分裂や分派を起こして、異なる福音を伝え、教会から出て行ったのです。その中には、9節に「行き過ぎをして」と記されているように、相撲でいえば、「勇み足」と言われるものですが、伝道熱心のあまり、行き過ぎてしまうことがあります。自分の考えを混ぜ込んで、福音に混ぜ物をしてしまうことです。しばらく前は、エホバの証人(ものみの塔)、モルモン教(末日聖徒イエスキリストの教会)、統一協会の3つのグループが異端と言われていますが、今では、そのほかのグループも増えているようです。それは、私たちが本来、守るべき真理から離れてしまうことから生じるものです。保守バプテストとは、キリストと初代の使徒たちから伝えられた真理を堅く保つことに、そのアイデンティティがあります。とても大切な役割です。

清宣教師