いよいよ、7つの封印が解かれる時がきました。第1の封印をとくと、白い馬が出てきました。勝利の象徴です。勝利の上に勝利を得ようとして出て行きました。ほとんどの神学者は、この白い馬に乗る人物は「反キリスト」のことである、と解釈しています。その理由は、この後に続く馬の出現とその内容から判断して、おそらく、艱難時代でのこの世の支配者を指していると考えられるからです。馬上の人物については、この6章の描写ではただ、冠と弓を与えられているだけであり、冠は勝利、弓は戦争を意味するので、世界を武力で征服する人物が一時的ではあってもこの世的な平和を保つことを意味しています。一方、黙示録19章11節をみると、白い馬に乗る方は、明らかに主イエス様であると分ります。ある一部の神学者は、キリストである、と解釈しています。このように、「キリスト」か「反キリスト」か、と解釈が真っ二つに分かれるところがあり、黙示録の解釈には慎重さを必要とする理由です。つまり、全体の神のご計画と照らし合わせてみることが大切です。ここでは、「勝利の上にさらに勝利を得ようとしている」とは、サタンがアダムとエバに罪を犯させ、永遠のいのちを奪い、さらに終末時代に世界を支配しようとする反キリストの姿を描写していると考えます。つぎに、第2の封印が解かれると、赤い馬が出てきました。これは地上から平和を奪う馬でした。世界大戦の様子です。クリスチャンは世界の平和を願い、平和のために祈り、平和を実践することを惜しまないのですが、赤い馬で象徴される殺人行為が未来において現実となることを預言しています。世の終わりには愛が冷えることが予言されています。そして、互いに殺し合うというのです。第3の封印が解かれると、黒い馬が出てきました。これは飢饉をもたらすものでした。小麦一枡は1デナリ、大麦三枡も1デナリとは、小麦も大麦も、通常の値段の8倍になるというのです。ただし、オリーブ油とぶどう酒には害を与えてはいけない、という命令ですから、徹底的な飢餓からは免れることを意味しているようです。オリーブ油は癒しの祈りの際に使われ、ぶどう酒は十字架の血潮を象徴するものですから、世界的な飢餓状態の中にあっても、衣料品と霊的祝福は、取り去られないことを意味しているとも考えられます。第4の封印が解かれると、青ざめた馬が出てきました。馬にまたがっているのは「死」であり、その後には、ハデスが付き従っていました。ハデスとは、死者の行く場所を示す名称です。そして、この者には、地上の4分の1を剣や飢饉や死病や獣によって殺すことが出来る権威が与えられました。ここでは、地上の4分の3はまだ後のために残されています。青ざめた馬が全世界を駆け巡ることにより、4分の1が死に至るのです。これらの災害を防ぐための手段は、相互の愛による助け合いです。ところが、その相互の愛が冷え切ってしまうので、大きな損害と死をもたらすのです。この中で「権威が与えられた」と記されている意味は、戦争、病気、悪霊の攻撃などを神が許されたということです。つまり、人類の罪が満ち、神が罰すべきものを罰する裁きの時が来たことを意味します。第5の封印が解かれると、殉教者の魂が祭壇の下にいるのを見ました。聖徒たちの殉教が起こっているのです。そして、祭壇の下にいるのを見た、という表現は、殉教した聖徒たちの祈りが天の祭壇のもとに届いていることを意味しています。早く裁きをして欲しいという聖徒たちの祈りは、まだ、ここでは聞かれず、審判までは時間があること、しかし、必ず、数が満ちたときに最後の審判が来ることが約束されました。この殉教者の祈りは、黙示録8章で聞かれることになります。8章5節で、この金の香炉(すべての聖徒たちの祈り)が地上に投げつけられることが、祈りの答えです。さて、第6の封印が解かれると、天変地異が起こる事が預言されています。大きな地震、太陽の異変、月の異変です。また、星々に異変が起こります。大風で青い実が振り落されるように、空一面に流れ星となり地上に降り注ぐのです。天の有様は一変して、地上の山も島も移動します。ただ、人間は恐怖の中で、山や岩に向かって、「私たちの上に倒れ掛かって、御座にある方の御顔と子羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ」と絶叫するのです。これらの天変地異が創造主なる神によるものだと人々は考えているのですが、神のもとへ悔い改めて帰ることなく、頑なに拒否し続けるのです。

清宣教師