8章において7日間の任職の儀式を終えて、9章では、いよいよ、モーセがアロンとその子らを呼び寄せ、同時に、イスラエルの長老たちを呼び寄せました。そして、モーセは、アロンに対して主の前に捧げるものを準備するように命じました。また、民たちにも命じました。そこで、アロンやその子たち、イスラエルの民たちは、モーセから命じられた物を携えて会見の天幕の前に集合しました。そこで、モーセは、アロンに公けに祭司の務めをするように命じました(1節~7節)。そこで、アロンは祭壇に近づき、いよいよ、公式に全イスラエルの大祭司としての働きを開始しました。
まず、大祭司アロンは自分とその子らのために、罪のためのいけにとして、子牛を捧げました(8節~11節)。次に、アロンは自分とその子らのために、全焼のいけにえとして、雄羊を捧げました(12節~14節)。
それからまた、イスラエルの民のために、罪のためのいけにえとして雄ヤギを捧げました。次に、全焼のいけにえとして子牛と子羊を捧げました。ついで、穀物のささげ物として油を混ぜた穀物を捧げました。ついで、和解のいけにえとして、雄牛と雄羊を捧げました(15節~21節)。なお、胸と右のもも肉は、主に向かって揺り動かして捧げました(21節)。
こうして、アロンは、初めての大祭司としての職務を終えて、両手をあげて民たちを祝福し、罪のためのいけにえ、全焼のいけにえ、和解のいけにえを捧げてから下りてきました。ついで、モーセとアロンは会見の天幕に入り、天幕から出てきて民たちを祝福しました。すると、主の栄光が民全体に現われました。主の前から火が出てきて、祭壇の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしました。民はこの神のみわざをみて、叫び、ひれ伏しました。この任職式に続く出来事を通して、主なる神は、アロンとその子らをそれぞれ、大祭司、また祭司として受け入れ、また、イスラエルの民たちをご自分の民として受け入れられたことを明らかにされました。
このような厳重な儀式をとおしてのみ、大祭司や祭司たちが立てられ、民たちに祝福が注がれました。そのことは、通り一遍の安売りの祝福ではありませんでした。大祭司の装束を思い起こしましょう。幕屋の荘厳な建物、何十億という費用が惜しみなく捧げられ、幾重ものいけにえが捧げられました。このことは、やがて来たるべき、聖なる神の御子による贖いの計画を表すものだったからです。父なる神がご自分のひとり子を、全人類の犠牲として捧げられるとは、どのようなことを意味するのか、それを示すものだったからです。それは途方もない犠牲であり、その救いはダイヤモンドの輝きのように、無数の側面をもっているからです。私たちには知り尽くすことが出来ない、無限の愛と英知をもって計画され、実行されたのです。その救いに私たちは預かったのです!!!!!主をおのれの神とする民はなんと幸いなことでしょう!!
きょう、大祭司アロンが任職された日のことを想像してみましょう。私たちの大祭司イエス様の御姿は、どんなに美しいことでしょう。ハレルヤ。
清宣教師