きょうの3章は、1節~9節が、ダビデ王家の確立、10節~16節が、ソロモン王からバビロン捕囚まで、17節~24節が、バビロン捕囚からの帰還後の系図となっています。全体としては、ユダ部族の中の中心テーマであるダビデと王の系譜が記されています。バビロン捕囚という大事件のあとも、17節以降、ダビデの子孫の系図が記されています。そして、バビロン捕囚からの帰還民の中にゼルバベルの名前が記されています。歴代誌が書かれた当時の指導者であるゼルバベルの指導者としての正統性を支持する目的があったと思われます。また、かつてのダビデ王朝のように、主を礼拝する民としての確立を目指すようにとの意図があったのかも知れません。バビロン捕囚から帰還した民は、約4万2千人でした。それを治める指導者は、ダビデ王家の直系の子孫であるべきである、との観点から、ゼルバベル王朝の系図を記したものと考えられます。ダビデこそ、希望の星であり、現在のイスラエル国家の国旗も「ダビデの星」であることから、イスラエルにおけるダビデの存在が、特別に際立っていることが分ります。そのダビデの子孫から、メシヤ(救世主)が生れるのです。そして、ダビデが愛され、希望となるのは、主の前におけるダビデの悔い改めの信仰の姿勢です。
すべての出発点は、「悔い改め」から始まります。すべての希望も「悔い改め」から始まります。すべての救い、癒し、回復、解放はみな、「悔い改め」から始まります。「神へのいけにえは、砕かれた魂。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51篇17節)。
清宣教師