バビロン捕囚から帰還した民たちの名前が記されています。ゼルバベルの名前と共に、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエエラ、モルデカイ・・・の名前が記されています。この中で、注意する点は、ネヘミヤ、モルデカイは、このあとのネヘミヤ記のネヘミヤ、あるいは、エステル記に出てくるモルデカイとは別の人物であるということです。
さて、バビロン捕囚からエルサレムに帰還した人たちが、出身部族あるいは出身地別に登録されています。当時のイスラエルの人たちにとっては、神の民であるか、あるいは、神の民ではないかということは、最も重要な事柄でした。実際、現代の私たちにとっては、天の神の御前にある「いのちの書」に名前が記されているかどうかは、最も重要な事柄です。「いのちの書」に名前が記されているなら、永遠の御国の住民となるのですから。こう考えると、イスラエルの人たちにとって、神の民であることを証明する系図や血統書がとても重要であったことが理解できると思います。
イスラエルの部族の中で、「パルオシュ族」という名前が記されています(3節)。これは日本語に翻訳すると、「蚤(ノミ)の子ら」となります。今ではあまり見ることが出来ませんが、あのかゆみをもたらす小さな虫です。ダビデも、ソウル王に対して、自分は一匹の小さな蚤(ノミ)でしかないと言ったことがあります(サムエル記、第1、24章14節)。蚤(ノミ)という小さな虫に例えています。謙遜な表現です。その名前が、神の民としての最初の部族の名前として登場するのは、偶然とは言えないと思われます。私たちは神の民と言って誇るのではなく、神の前に謙遜に生きる民であると自覚する必要があります。
各部族や出身地別の登録人数のあとに、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちなどが部族別に登録されています。エルサレムに帰還した祭司の数は、4,289人でした。全集団42,360名の約1割にも達しています。やはり、エルサレムに帰還するということは、神殿の再建に直結することでしたから、祭司たちはエルサレム帰還に関して、最も大きな関心と情熱をもっていたと考えられます。
さて、全集団の中で一族のかしらのある者たちは、神殿をもとの場所に再建するために、積極的に、自発的に、多くの捧げ物をしました。68節と69節に、「神の宮のために自分から進んでささげ物をした」とか、「自分たちにできることとして工事の資金のために、・・・ささげた」と記されています。いまも、その原則は生きています。使徒パウロは、献金について、次のように語っています。「献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。・・・喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げなさい。」(コリント人への手紙、第2、8章10節~11節参照)。献金は借金してまでするようなものではなく、神様が与えて下さったものの中から、自発的に、喜んで捧げるものです。
清宣教師