16章では、ヨブは友達に対して、お前たちは煩わしい慰め手であると言いました(2節)。ヨブにとっては友人たちのことばはみな、空しいものでした(3節)。それは因果応報の原理に基づいた的外れのことばだったからです。6節~17節では、ヨブは神に語っています。神はどうして、ヨブの敵となってヨブを苦しめられるのか、なぜ、神からも、友人からも理解してもらえないのか、というヨブの苦悩が綴られています。ところが、その深い苦悩が、ヨブを一筋の光へと導いていきました。天には自分と神との間に立って自分を仲裁してくれる「保証人」がおられるに違いない(19節)という悟りでした。その証人は、地から出る血の叫びに耳を傾け(18節)、高い所におられて(19節)、自分を執り成してくださるに違いないという悟りでした。
今日の聖書箇所から教えられることは、ヨブは、試練の中で、神の奥義ともいうべき、ひとつの悟りへと導かれたことです。試練の中で最もつらいものは、出口が見えないトンネルであると言われています。出口さえ見えれば、たいていの人は耐えることが出来ます。出口が見えないからこそ、目に見えない奥義へと導かれるのです。その極致は、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになるのですか」と叫ばれた御子イエス様に見ることが出来ます。いま、深い嘆きの中にある兄弟姉妹が試練に耐えられるように、祈りましょう。
清宣教師