今日は、詩篇99篇です。詩篇99篇のテーマは、主の主権的支配です。1節―3節は、聖なる神が全世界を支配されるという告白です。4節―5節は、主がダビデの家を堅く建てられたことを通して示された主の公正と正義をほめたたえ、主は聖である告白します。6節-9節は、かつて、モーセとアロンとサムエルの執り成しを、主は心に留めて下さり恵みをもって応えて下さいました。聖なる主は悪を罰せられますが、聖なる主は赦しの神でもおられます。聖なる神を知る者は、神の民と共に礼拝するようにとの招きがなされます。この招きは、具体的に、イエス様の降誕、それに、十字架の執り成しにより、実現しました。
今日の聖書箇所から教えられることは、モーセも、アロンも、サムエルも、神に祈り、神と人との間に立って、執り成しの働きをしました。話は変わりますが、最近、夜寝ながら、主の前に黙想する時が与えられています。そこで、イエス様のみことば、「わたしが道であり、真理であり、いのちです」ということばを黙想していた時のことです。イエス様は、全人類の大祭司として今、執り成しの祈りをされていることを想いました。そのとき、私たちの執り成しの祈りとは、大祭司であるお方、イエス様のいのちの中で、イエス様と一緒に祈る事でないか、と教えられました。そして、全人類の執り成し手としての大祭司を覚えながら、イエス様のいのちの内にあって、イエス様と共に祈ろうと思った瞬間、祈りの内容が与えられました。それは、まさにこの地球の上に住む大家族のために祈る、執り成しの祈りでした。イエス様は、全人類のために、現実に執り成しの祈りを捧げておられるのだ、と悟ったのです。イエス様は、天の父に至る唯一の道です。イエス様は、それゆえに、日々、全人類のために執り成しをされているのです。私たちも、クリスチャンとして、イエス様のうちにあって、執り成し祈る特権が与えられています。きょう、大祭司イエス様のいのちのうちにある姿を想像して、イエス様が捧げられている祈りを一緒に捧げませんか。全人類のために祈られるイエス様の祈りが聞こえてくる経験に導かれる、と思います。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ人への手紙、6章18節)。清宣教師