きょうは、少し、長い個所です。段落ごとに見ていきます。1~3節(婚約時代のイスラエル):イスラエルがエジプトで奴隷の状態にあったとき、モーセを通して、主はご自分の民をエジプトから連れ出し、救出されました。そして、シナイの荒野で主なる神と契約を結びました。いわば、イスラエルの民は、神の婚約者となったのです。その時は従順でした。収穫の初穂のように主に捧げられたものとして、主がこれを守り、初穂を食らう(契約の民を襲う)ものを罪に定め裁かれました。4~13節(離反するイスラエル):ヤコブの家、つまり、イスラエルの12部族全体に主は語られます(4節)。婚約して素晴らしい出発をしたのに、あなたがたはどうして、わたしに背を向けて、偶像礼拝(むなしいもの)に陥ってしまったのか?なぜ、祭司たちは、「主はどこにおられるのか。私たちをエジプトの国から上らせた方、・・・・行かせた方は」と民に向かって問いかけ、民は「主よ。あなたです」と答えたではないか。わたしは、あなたに約束の地カナン(実り豊かな地)を与えてそこに住まわせたのに、あなたがたは偶像礼拝により嗣業の地を汚してしまった(7節)。しかも、祭司たちは「主はどこにおられるのか」と民に問うべき責務を放棄してしまった。そして、律法を取り扱うものも、指導者も、預言者たちも、バアルを拝む偶像礼拝に陥ってしまった。西の方(地中海のキティムの島)、あるいは東の方(アラビア半島のケダル)の民に聞いてみるがよい。神々を神々でないものに取り換えた国民があるだろうか。しかし、わたしの民(イスラエル)はその栄光を無益なもの(偶像礼拝)に取り換えた。あなたがたは二つの悪を行った。ひとつは湧水の泉(生ける主なる神)を捨てたこと、ふたつめは、多くの水溜(偶像たち)を自分のために掘ったこと、である。14~19節(揺れ動くイスラエル):イスラエルは奴隷ではないはずだ。しかし、みずから支配される道を選んだ。若獅子(アッシリアの記章)で象徴されるアッシリアが北からイスラエルを侵略する。エジプトのノフ、タフパヌヘスなど南からエジプトの軍勢が侵略してくる。あなたが主を捨てたのでこのようなことが起こるのだ。・・・続く・・