いつものとおり、パウロは、ギリシャ風の手紙の書式を用いて、差出人(パウロとテモテ)、受取人(ピリピ教会の聖徒たち、監督、執事たち)、挨拶のことば(2節)を記しています。
ピリピの教会は、パウロの第2回伝道旅行の際に形成された教会でした。使徒の働き16章12節~34節に記されています。紫布の商人ルデヤの家族、あるいは牢番の家族が救われたところです。それから、10年ほどの歳月が流れ、いまは、立派な教会に成長していました。AD60年ごろにパウロは投獄されているので、その頃、獄中から書いた手紙であるといわれています。獄中書簡のひとつです。
エペソの教会は使徒パウロの宣教のために、献金を募り、エパフロデトに託してパウロのもとへ届けました(4章18節参照)。しかし、エパフロデトが重い病気にかかり(2章25節~27節)、みんなが心配していたのですが、いま元気になったので至急、エパフロデトをピリピの教会に送り返すことにしたのです(2章28節)。パウロは献金の感謝と共に、ピリピの教会が直面していた人間関係における不一致の問題(4章2,3節)、異端(3章)のことを含めて、ピリピの教会に書き送ったのがこの手紙です。ローマ皇帝の囚人として、パウロはローマ市内に一軒家を借りることが出来ました。
同時に、ローマ皇帝直属の親衛隊のものが交代で、その一軒家の番兵をしていました。逃亡を防ぐと言う目的だったと思いますが、来客の自由は与えられていたようです。そこで、来客する者たちに対して、イエス・キリストの福音を大胆に語ることが出来ました。それで、パウロの身辺で警護にあたる親衛隊も、キリストの福音を聞くことになりました。交代でパウロの警護にあたるので、結局、親衛隊の全員が、キリストの福音を聞く結果となりました。主の御計画は不思議です。その中から救われるものも起こされました(4章22節。「カイザルの家に属する人」とは、ローマ皇帝の家に属する者と言う意味です)。
さて、パウロが牢獄に捕えられたと知ったとき、二種類の人たちが現われました。ひとつは、パウロ先生が捕えられたから、私たちが福音を宣べ伝えなければという思いになり熱心に福音を伝えた人たち、もうひとつは、パウロが捕えられたので、いまは絶好の機会である。われわれ割礼派の手で福音を宣教しようと考えた人たちでした。後者は妬みと党派心から福音を伝える人たちでした。しかし、パウロはいずれにせよ、福音が広がるのであれば喜びであると述べています。
ピリピ人への手紙のキーワードは「喜び」です。ピリピ人への手紙に、16回も出てきます。この「喜び」は「福音」(赦し、和解)からくるものですから、「福音」ということばも9回も出てきます。
神はみこころに従い、からだの中にそれぞれの器官を備えて下さいました!