福音は、赦し、喜び、交わりをもたらすものです。まず、「一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」と勧めています(2節)。私たちはみな、罪人であるという共通点をもっています。同時に、キリストにあって罪赦されたものという共通点をもっています。ですから、心をひとつにすることができます。しかし、それを妨げるのが「自己中心」と「虚栄」です。一致のための秘訣は、自己中心と虚栄のまったく反対の態度、つまり、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うことです(3節)。
自己中心を捨てて、虚栄を捨てるとは、どういうことでしょうか?自分を捨てるとはどういうことでしょうか?
バラはバラ、スミレはスミレ、ヒマワリはヒマワリ、サクラはサクラ、・・・本来の神の作品に立ち返ることです。他の人と比較をして、○○になりたい、□□になりたい、他のものになりたいという偽りの妬みから解放されることです。本来自分のものでないものを捨てることです。それが自分を捨てることです。結局、本来の神の作品に立ち返ること、真の自分自身を取り戻すことです。あなたは、神の作品です。
「自分の救いの達成に努めなさい」(12節)と勧められています。そのためにはいま、自分が与えられている責任をつぶやかずにおこなうことです。私たちの信仰の中心はイエス様にあります。他の人と比較したりするなら、すでに、正しい軌道から外れていることになります。祈りましょう。私たちの中心はキリストにあります。神は、みこころのままに、キリストにあって、私たちの思いの中に志を与えられています(13節)。キリストが中心です。
どうしてこんなことをしなければならないのかと、つぶやくことなく、疑うことなく、行いなさいと勧められています(14節)。そのようにして、神様は、私たちの魂を磨いて下さるのです。神様が与えて下さった賜物が輝くための単純な方法は、「こんなことをやって私のためになるのだろうか?」と思う時に、つぶやかずに、疑わずに行うことです。その時、賜物が磨かれ輝くのです。大きなこと、好きなこと、やりたいことではなく、今あたえられている小さなことを忠実に行う時に、魂も賜物も磨かれるのです。
19節~24節はテモテのこと、25節~30節はエパフロデトのことについて言及しています。パウロには信仰の友が与えられていました。エパフロデトのことを「私の兄弟、同労者、戦友」と呼びました。「彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです(30節)」と述べてフォローしています。そういえば、パウロは肉体的に弱さをもっていましたが、主は、パウロの友達として、主治医ルカを与えられました。主は、私たちに信仰の友達を与えてくださいます。
神はみこころに従い、からだの中にそれぞれの器官を備えて下さいました!